ピアノの後日談:やめたことも無駄じゃなかった

保育園でのピアノ

上の子は保育園でピアノを習っていましたが、年長の最後の月にやめました。
小学校に入ってからも続けるかどうかは本人に任せましたが、結局再開はしませんでした。

やめた理由はいくつかあります。

  • 送迎の問題
    共働き家庭にとって大きな負担でした。
  • 費用の問題
    保育園での習い事より、個人レッスンになるとレッスン料が高くなります。
  • 時間の問題
    5歳から続けていたスイミングに加え、小1からサッカーも始め、時間的に余裕がありませんでした。
  • 本人のやる気
    続けたいと子どもが言わなかったこと。

それでも、保育園でのピアノ経験は決して無駄ではなかったと思います。
音感やリズム感は生活の中で自然に役立っていますし、なにより音楽が好きな子になったのは大きな財産です。


高校で再びピアノと出会う

小学校時代は音楽にほとんど触れず、中学では流行りの歌を聴くくらいでした。
ところが高校で軽音楽部に入り、バンドを組むことに。最初はベースを担当していましたが、そのうち「ピアノのある曲をやりたい」と言い出しました。

家にあったキーボードで練習を始めましたが、「鍵盤が足りないからピアノが欲しい」と。祖母が「音楽は良い趣味」と応援してくれて、電子ピアノを買ってもらいました。
そこからは毎日のようにピアノを弾き続けています。

楽譜も読めないところから始めましたが、「弾きたい曲がある」という気持ちが練習を続けさせたのです。
そして今では、一人暮らしを始めるときも電子ピアノがおける部屋を探し、ピアノを持って行きました。
上の子にとって、ピアノは欠かせないもの、最高の趣味になっています。

親としては「保育園の時、もっといい先生を探してあげればよかった」と後悔することもありますが、子どもに言わせると「その時はそのタイミングじゃなかった」とのこと。
高校でピアノをやりたいと思ったあのときが、あの子にとっての最高のタイミングだったようです。
そう聞くと、ちょっと救われる気持ちになります。


習い事は無駄じゃない

こうして振り返ると、保育園での2年間のピアノ経験は無駄じゃなかったと思います。

子どもの習い事は途中でやめると「失敗した」「お金がもったいなかった」と感じがちです。
でも実際は、子どもの中に小さな種として残っていて、思いがけないタイミングで芽を出すことがあります。

習い事は「続けること」も大事ですが、それ以上に「経験すること」に大きな意味があるんだと、今なら思います。

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